ニコチルワンマンライブ〜Nico×2. Children 10th Anniversary Live 2019 "10力と欲求 Against All GUARANTEE"〜 終演に寄せて。

終わってしまった。

 

何が終わってしまったのかといえば、ここ最近僕がやかましいほどにTwitterで宣伝していた「Nico×2 Children 10th Anniversary Live 2019 "10力と欲求 Against All GUARANTEE"」、すなわちニコニコ動画でのミスチル歌ってみた演奏してみた動画の第一人者であるニコチルさんの活動10周年を記念したワンマンライブが終わってしまったのだ。

 

このタイミングでしたためておかないと、もう二度とこういう話をする機会はないと思うので、多分、きっと、ものすごく長文になると思うけれども、余計なことばかり言うかもしれないけれども、それでもいわゆるひとつの"自分語り"を思いつくままにやってみようかな、と思う。

 

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思い起こせばあれは遡ることちょうど20年前(!)、1999年のこと。「なにか有名人のファンになりたい!!」というなんとも漫然とした突然の衝動に芽生えた少年時代の僕は、家族でカラオケに行くと父親と一緒によく歌っていたMr.Childrenのファンになろうと決意したのである。今思い返すと我ながらまったく不思議な経緯であり、普通は「何度も繰り返し聞くほどあの曲好きだ」「テレビで見てすごくかっこいいと思った」のような、そういうエピソードがあるものなのだけど、何故か「この人達のファンになるんだ」という想いがまず先行した結果、めでたく僕はMr.Childrenのファンとなったのだった。

 

そうして僕は当時隆盛を誇っていたレンタルCDショップで借りてきた流行の曲たちをダビングしたカセットテープの中から、Mr.Childrenの曲だけを選りすぐって更に別の自分だけのカセットテープにダビングして聴いていた。そんな最中に出会ってしまったのが、1999年発表のMr.Childrenのアルバム"Discovery"…ではなく、そのアルバムを引っ下げて全国42公演を回ったライブツアーを収めたライブ・アルバム、"1/42"だった。

 

とにかく衝撃的だった。"名もなき詩"、"花 -mement mori-"、"Innocent World"をはじめとするエヴァーグリーンな誰もが知る名曲たちと、当時すでに7年を超えるキャリアの中で幾度となく披露されライブで定番となった"ラヴ・コネクション"や"Dance Dance Dance"のような曲、そして実験的な要素も多分に含まれながらも違和感なくスッと体の中に入ってくるポップ性を持ち合わせた最新アルバム"Discovery" の曲たちが、生々しいライブ演奏と、白眉としか表現しようのないエクスクルーシブなアレンジで次々と両耳の中に叩き込まれていった。

 

そうは言ってもまだまだ想像力の足りない未熟な少年時代の自分にとっては、どこかふんわりとした存在であったMr.Children。ところが、翌年に発表された"口笛"のプロモーションビデオを見た僕の頭の中はもうこれ以外のことは考えられなくなってしまった。

 

「この髭面の人のドラム、めっちゃ格好いい…」

 

こうしてその後しばらく、この刹那の想いになにもかもを支配されることになってしまったのだった。

 

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そして当時といえば都心部以外にも続々とインフラが整備され、群馬の端っこの更に端っこに位置する我が故郷にも"インターネット”というものが市民権を得始めようとしている時代でもあった。幸いにも我が家はダイヤルアップの時代からワールドワイドウェブの世界に足を伸ばしていたこともあり、父親の助けを借りながらインターネットでMr.Childrenをことをもっと知ろうと思ったのは当然の結果だったように思う。

 

そうして今となっては最早死語となってしまった"ネットサーフィン”を繰り返していたのだけど、思い返せば数々のミスチルファンサイトを巡り過ぎた結果、いつでもどこでも繰り返されている仲良しクラブのような雰囲気に少し食傷気味になってしまった僕は、あまりにも極端すぎる2つの個人ファンサイトに多くの時間を費やすことになった。

 

"もし僕らの言葉が音楽であったなら"、通称"もしぼく"は、エッジの効いた(効きすぎた)管理人である東雲氏によって運営されていた酸いも甘いも劇薬もすべて含んだMr.Childrenへの愛情表現に富んだファンサイトだった。Mr.Childrenのいわゆる"桜井和寿一強問題"に強く疑問を投げかけつつ※1も愛のあるメンバー弄りの数々と、"侍魂"や"一流ホームページ"のようなテキストサイト全盛の当時、そのエッセンスを取り入れた"ファンサイトなのに管理人の日常を綴った文章が面白い"という点に惹かれ、高校受験を控えていたというのに僕はチャットや掲示板に「ドラムのJENが好きだ」という己のアイデンティティ武装して"りゅーき※2"というHNを使って入り浸り始めたのだった。

※1:このスタイルの先駆者は自分の知る限り"ミスターチルド連邦"だったと思う。ギターの田原さんが未だに一部のファンに"皇帝"と呼称されている所以。ただし愛の強いファンの前でその呼称で発言することはタブー。

※2:記憶にある限りこの名を名乗り始めたのは2001年の秋もしくは冬頃。仮面ライダー龍騎の製作発表が2002年1月なので、自分の方がライダーより先にこの名を名乗ったことは当時から現在にかけてことあるごとに言い続けている。

 

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時を同じくした頃もしくはその少し前、これまた別のベクトルでエッジの効いたサイト、"Toolbox"とも出会った。そのコンセプトは単純明快、メンバーの使っている"楽器"をひたすら紹介するというサイトだった。

 

MONGOL800が"インディーズ"という言葉を大衆に知らしめ、BUMP OF CHICKENが"天体観測"で爆発的ブレイクを果たし、同級生のヤンキー達がこぞってSNAIL RAMPをコピーして女子からモテようとしていた2001年当時、りゅーき少年の「バンドやりたい(あわよくば女子にモテたい)欲」もとい「なんでも良いから楽器が欲しい(最終的には女子にモテたい)欲」は言わば有頂天に達していたこともあり、サイトに載せられている楽器の数々の写真と、数多くの考察が含まれたコラム達を毎日ディスプレイが焼き切れるほど舐め回すように見ては、楽器を買い与えられなければ女子にもモテない鬱々とした己の日常を慰めながら過ごしていたのだった。

 

…まさかこのサイトの管理人であるたいら氏が、その後の自分の人生における最重要人物の一人になるとは、いちROM※3であった当時の僕は当たり前のように知る由もなかった。

※3:"Read Only Member"すなわち閲覧するだけで書き込みをしない人のこと。半年ROMるのがネチケットですぞ。フォカヌポゥ

 

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高校に進学した僕は、今は亡きOrvilのレスポールモデルのギターを中古で手に入れた。自宅で少年ジャンプと着られなくなったユニクロのパーカーを積み上げては絵筆で叩いて練習していたドラムから、練習スタジオ常設の本物のドラムセットにランクアップしたりもした。こうなってくると最早次のステップはただ一つ。「バンド組みたい(そしてやっぱり女子にモテたい)」である。

 

そんな時にまた別のミスチルファンサイトで出会った友人と、かなり具体的な形でバンドを組もうじゃないかという計画が持ち上がる。共通のバンドが好きという点は、バンドのコンセプトを決める上でものすごくスムーズに事が運んだ。いわゆる"J-POP"のど真ん中をやってろうというバンドだ。

 

そんな大層な理想を掲げて動き出そうとしたのは良いものの、世間は先にも挙げた(かなり乱暴に括ってしまうけど)インディーズバンドブーム。ライブハウスで演奏しようと調べるにも、ポップな歌モノバンドが出られそうなイベントなんてそうそうありゃあしない。果たしてそのコンセプトに近しいバンドというのは一体全体どのように活動しているんだろうか?そう考えて調べた結果、辿り着いたのは"NO NAME BAND"という埼玉の北浦和を中心に活動している"ポップ・ロック・バンド"を標榜するバンドだった。当時サイトで視聴できたアルバムの曲を何曲も聞き込み、友人とライブするならこんな構成がいいよねとか、もしアルバム作れるなら一曲目はインスト入れてみたいよねとか、大層大それた夢を語ったりもした。

 

こうして指針となるバンドの作品や活動の雰囲気を参考とし、2006年に大学へ進学した僕は後にドラマーとして自分自身のオリジナルバンドを始めることになるのだけれど、それはまたちょっとだけ別のお話。

 

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とまあこのようにしてMr.Childrenのファンとなり、Mr.Childrenの音楽に惚れ込み、インターネットの世界で"りゅーき"という名を名乗るようになり、Mr.Childrenの機材についての見聞を深め、己のバンド活動を始めた訳だったけど、ひょんなことからMr.Childrenのドラム担当JENこと鈴木英哉氏の使用機材をまとめたブログ「ジェン通」を始めることになった。

 

うーん、まあ、変に濁さなくてもみんな知ってるしいいか。使用機材をまとめる、もとい、JENの魅力を数多の人々にお伝えするというコンセプトで当時ネットで知り合った子と一緒に「ジェン通」を始めた。あくまで自分は"機材関連の記事担当"という位置づけだった。

 

そんなこんなで、かの"Toolbox"よろしく、でも正直ドラム機材の知識もそれほどままならないままがむしゃらにGoogle画像検索を駆使するなどしてなんとかブログを更新していた。そんな折、2011年のMr.Childrenのツアー"SENSE"最終日のさいたまスーパーアリーナ公演の直前に「僕も同じ日に観に行くので良かったら終演後に飲みながらお話しませんか?」という趣旨のメッセージをなんと本家本元の"Toolbox"管理人、たいら氏から受け取り、二つ返事でその誘いに乗っかった僕は、終演後のけやきひろばにある銀座ライオンでたいらさんとの初めての邂逅を果たした。ついでに今や色々と足を向けて寝られない"Toolbox"常連の重鎮であるミナミさんとも邂逅を果たし、僕にとって初めての"ミスチル機材クラスタオフ会"を満喫したのだった。

 

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こうして初めての出会いからほどなくして、次に見る予定のライブが偶然にも同じだったという縁もあり、あれよあれよとたいらさんとは意気投合し、夏に始まったやはりMr.Childrenのスタジアムツアー"SENSE -in the field-"の横浜公演会場でもまた会おうということになる。そこでたいらさんから紹介されたのが、改めて言うまでもなくニコニコ動画で大活躍しているニコチルさんであった。

 

学生時代の暇な時間はほぼニコニコ動画を見ながら過ごしていた※4僕が彼の存在を知らないはずはなく、歌唱のクオリティだけではなくシーケンス含め演奏もすべて一人でやってのけるスーパーマンとの出会いに舞い上がった僕は、人見知りフルスロットルでとにかく握手をしてもらうことで精一杯だったように記憶している。

 

※4:"ミスチルギター弾いてみたシリーズ"動画のうp主であるサラリーマン氏とコラボした"箒星"の動画はギターフレーズの目コピをする目的もあり本当にディスプレイが焼き切れるほど何度も繰り返し見ていた

 

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そして1年ほど経過し、就職をきっかけに上京してようやく新しい生活にも慣れつつあったある日、ニコチルさんから「ニコチルのワンマンライブを開催するので良かったら遊びに来ませんか」というありがたい誘いをいただく。もちろん断る訳もなく、勇んで会場に駆けつけた僕だったが、会場でとんでもないものを見てしまった。というか、会場の看板にはこんな文字が書かれていた。

 

「NO NAME BAND ワンマンライブ 〜自咲自演 Vol.2〜」

 

???

 

こんなことってあるのか。頭の整理が追いつかなかった。高校時代にネットでたまたま見つけたバンドのボーカルが、実は最近知り合った人だったなんて。オリジナル曲、カバー曲を織り交ぜたライブは一瞬も飽きることなく楽しめたけど、それ以上にその日の感想はその"事実"に支配されて曲のことをあれこれ言っている場合ではなかった。

 

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そんなこともあったりして一方的にリスペクト感が増し増しになりながら、再びライブ後に一緒にご飯を食べたり、スタジオに入って遊んだり、思い切ってNO NAME BAND主催の企画ライブに直談判して無理矢理出演させてもらったり、挙句の果てに"ニコニコ超会議"に一緒に出させてもらったりして親交を深めたニコチルさんから、今年の2月にこんなメッセージが。

 

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一度のみならず二度も共演の機会を頂けるなんてありがたい!とわずか2分後に二つ返事を返す僕。

 

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そして告げられる衝撃のコンセプトに思わず小岩井よつばと化した僕。

 

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ライブハウスでの演奏から遠ざかって久しく、挙げ句2年以上人前でドラムを叩くことすらもなかったのになぜ二つ返事をしてしまったのか。声をかけてくれたニコチルさんには申し訳ないけど丁寧に説明すればきっと向こうも汲んでくれて断ることも出来たのではないか。ほんの少しそんな想いがよぎったこともあったけど、それ以上にまたニコチルさんと一緒に"思う存分"Mr.Childrenの曲を演奏できるという最高のご褒美を前にしてもう後には退けないと覚悟を決め、いざメンバーとの初顔合わせ。

 

f:id:r29ruki:20191216190515p:plain >ギター担当はサラリーマンくんです。

 

f:id:r29ruki:20191216190636p:plain >お前は何を言っているんだ

 


何なのこれ。歴代プリキュア大集合的な?なぎさちゃん登場で親世代大号泣とかそういう奴?泣くぞ?本気で泣くぞ?あからさまにキャプションで伏線を張っておいたけど僕ってばあなた方のコラボ動画本気で死ぬほど見てたんですよ???

 

などということは思っていても一ミリも顔に出さないよ。大人だから。大人だし紳士だし淑女でもあるのであくまでシャンゼリゼ通りで優雅にアフタヌーンティーを嗜むパリジェンヌのごとく「よろしゅうあそばせですわ」と挨拶を交わしたのだけど、その後のたった2時間のスタジオ練習でボロ雑巾のようになった僕を見るニコチルさんの笑顔はちょっとだけ引きつっていたような気がする。

 

なんて冗談5割増しくらいで書いてみたけど、限りなく事実に近いことは間違いなくて、本当に当日20曲もの曲を演奏できるのか※5、当日までの出来次第では何曲か削ることも視野に入れないといけないのでは、という話をしたりしつつも、結果は皆さん御存知の通り(ハプニングありつつも)アンコール含めてぴったり20曲を演奏しきることができたのでした。

※5:早い段階で本当に候補が20曲出揃って死ぬかと思った。

 

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ということで異常なまでに長い前フリを経てようやく昨日というか一連の振返りですが、とにかく今回まず声をかけてもらったということそのものが、自分の好きなものをとにかく好きだと懲りずに叫び続け、何かしらの発信やら活動をしてきたことのご褒美だったのだと思っています。

 

その根底にはまず何かを本気で好きになること、そして好きになったものを突き詰めようとすること。誰もが毎日好きなことだけやって生きていける訳ではない日常の中で、そういったことの繰り返しの延長で人との縁が増えて、その中から面白い何かの渦のようなものが生まれて、さらにそれを巻き起こす中心に入って行くことが出来る、そんな素晴らしいことってなかなかないんじゃあないかなと思うわけです。

 

"出会いの数だけ別れは増える それでも希望に胸は震える"

 

メンバーの中で一番経験の浅い僕でしたが、ニコチルさんはじめメンバー皆の温かいフォローでなんとかここまでやれたような気がします。そしてこの日を楽しみにライブハウスにお越しいただいた皆さん。半ば無理矢理僕に連れて来られた皆さん。会場スタッフの皆さん。最後に、このクソ長い文章を飽きもせずに最後まで読んでくださった暇で暇でしょうがないそこのあなた。本当にありがとうございました。

 

そしてそして改めてニコチルさん活動10周年おめでとうございます。僕の個人的な10年以上の怨念のような思いが演奏にちょっとでも乗っかって伝わっていれば幸いです。

 

2019.12.16 りゅーき(最近は専らりゅーきち)